2008年12月26日

真空の京都 vol.25

京都のカフェというだけで
むしょうに胸の鼓動がトクトクいう。
また朝のカフェというのは本当によい。
京都の朝カフェは本当に、本当にすばらしいんだ。
嗚呼、昨日、死ななくて
本当によかったと18くらいのとき思った。
進々堂で、だったか、ソワレだったか、忘れた。

京都は不思議な憧れだ。
町屋もマンションや駐車場になるし、
老舗もどかどかつぶれていって、
京都タワーも京都駅も異常なまでに批判されて
でも「みんなの京都」という
イメージが必ず残っていて
「みんなの京都」の幻想読本として
京都本は未だにぎょうさん出ている。

取材をするにでも、何をするにでも、あんたさん、
文学的で芸術的で哲学的な「何か」をもってはりますか?
見せてくれなくても、もってなくても
わたし、一向に構いませんけど、と静かに
相手方より心の小さい部分をぎゅっと見つめられてる気がする。

というか、京都は私にとってそういうまちだ。

誰が「それ、勘違いやで。」といってもいい。
私にとってはそういうまちだ。
勘違いをそのままにしたいから、もうあんまり行きたくない。

こういう勘違いというのは、そうねえ
恋人への勘違いと同じくらい愛しいものである。





posted by にしもとちひろ at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | これが私たちの住むまち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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