2010年06月20日

小さな勇者の等身大。

地域はよそもの、ばかもの、わかものが
変える、みたいな、恥ずかしいセリフを
まだ、たまに聴くことがある。

特にそれを発言した方への嫌悪感は一切ない。

(でも、自分も1度くらいは
発言したことが
あったかもって思うと
アルゼンチンまでもぐりたい。)

だけれど、とにかく
そんなセリフで、聴衆がアハハといって
薄笑いしたり、わかったような、わからないような
まあ、そんなことさえどっちでもいいような
会話が入り込める、この分野に
異常なる劣等を覚えている。

というのは、
自分の「どこかで」「どこかの場所で」
当事者になりたいっていう
小さな感情やプライドっていう
ちっちゃい話なんだけど。

まぁ、そう、一応、感じてしまうんだ。

社会起業家の文脈も
地域でチャレンジの文脈も
冒頭の文言に通ずるが、
大人なエティックは
その根源に対するところでは、
自己批評装置を持ち得ないように
感じるし、
その周辺なる私たちも特に
その意志を行動に届かせることなく、
今日にいたる。

今回の一連の「新たな公」ブームを機に
みたこともない投資額を得て走らんとしている
この「運動」は
これまでの「運動」ーどうしても
跳び越えなければならない跳び箱
(=それ)を超えようとする、内発的な「まま」の、
内発性それ「だけ」の、「運動」ーと、
明らかに変わってきていることは
いうまでもない。

そのときの「運動」はどうあるべきなのか、
外発的にひっぱられるときの、
その内発性が、なんたるか、は
どこを起源として、どこを目指していたのか、
あるいは何が始まることを、希求していたのか。

そういうことを、話したりしようではないか。

そんな「運動」が
お遊びならお遊びでいいのだ。

なら、本気で遊んだらいいと思う。

誰も本気じゃないって思うのは
わたしの子どもの野生のただの勘で、
馬鹿じゃん?
みんな本気だよっていうかもしれないけど
私にはどうにもこうにもあんまりそうは思えない。

中途半端な遊び(「運動」)
は最低の代物だけど、
突き抜けた本気モードの
大人の遊び(「運動」)は
案外、いい味になったりするもんだ。
いや、最高の美味だ。

だから、その「運動」そのものや、
その「運動」の接触する(着地する)
「場所」の議論なくして、
そのなんとなく現れるに違いない
「場所」へ適当な理由付けをして
ただそこに、「居る」ことを
無意識に、または、意識的に強要されたがゆえの
立脚や接触ならば、そこから
何も生まれはしない。何も遊べない。
遊ぶことさえさせてもらえないだろう。

かかわった人たちが疲れたり、
組織がつぶれたりするのなんて
こと(自体)も大変だけれど、
まあ、どうでもいい。
残念だし、私だっていやだけど、
そんなことはどうでもいいんだ。

でも、今日、「運動」のけん引役として
そういう大きな責任主体たらんとする彼らは
元来は小さな勇者であって、
その小さな勇者ならば、
自分が己の甲殻から出たやどかりのように
自分を覆い隠してくれるものから出て
一人ぼっちで居るのを感じ、
ちょっと恥ずかしくなりなり、
「今日は、わたしは勇ましくないだろう、
何が起ころうと、どうしようもない。私は勇敢に
なれないのだろう」(アンリミショー)
と独り言を言う
(くらい、等身大で背伸びのない範囲での)
責任主体であったのだと思う。

私はそのうそのない、謙虚さと
野心をも兼ね備えた、チャーミングな等身大がすきだ。
信頼できる。安心できる。

エティックも周辺におる、
私らも、本当であったら、
そう、その「場所」にしか
立脚できない、してはならぬ、
はずである、と思っていて、
その「場所」へ接触(着地)する
「運動」しかしてはならないと思っている。

しかし、今日のブームの渦中の
「運動」の牽引としての
小さな勇者は、「より多くの人へ、より広く」
と大きな勇者の
仮面をかぶらざるをえなくなったようにみえる。

ただ、そんな必要はまったくないのでは
ないかとわたしは思う。

小さな勇者の等身大。等身大の大きさ分の責任。

その等身大の精一杯が私たちの日常を支え、明日の
それこそ、大切をきずくものだと
思うからだ。
posted by にしもとちひろ at 21:21| Comment(2) | TrackBack(0) | まちづくりについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

お ち ん ぽペロペロしてもらって5万ゲットォォォ!!
精 子 出してお金もらえるとか、勝ち組すぐるwwwww
http://w75c424.fusa.yahoosearch.me/
Posted by チョー気持ちいいっすwww at 2010年06月26日 03:23
初めまして。Takumaです。

・もっともっと自分が住む場所を良くしたい
・次の世代が安心して住める世の中にしたい

最近、そんなことを考えたりします。

小さな一人一人が集まって、そんなことを真面目に語る場を作ったり、もっと主体的に世の中を変えられるようにできないかなって思うわけで。

自分も小さな勇者でありたいと思うし、
もっともっとたくさん小さな勇者が増えるといいですよね。

政治を批判するだけの自分ではなく、社会を変えられる具現者でありたいと思います。
Posted by Takuma at 2010年06月27日 00:44
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