2010年11月05日

括られるな、括られるな

わたしの父という人は可愛い人で、「おれも、親ばかだ」と言いながら最近、ホロヴィッツのCDをたくさん買ってきてくれる。

おぃ、今日はショパンだぞ。

おぃ、今日はチャイコフスキーだぞ。

おぃ、今日はラフマニノフだぞ。

聴ききれないんじゃないの?というくらいのCDをラックに入れて、ブツブツ、整理(一応、彼なりの整理の仕方があるらしい)をした後、畳の部屋に行き、謡をやったり、仏語を勉強したりしている(母とパリに行きたいんだと思う)、父は本当に不思議な、わかりやすい、わたしに似てる人。

わたしはでも、あんまりお父さん、有難うばかり言わないようにする。少し嬉しくても。

だって、言うと本当に永久に買ってくるような気がする。ホロヴィッツ先生をすべて集めてしまうような。

昔、一緒に、新しい公共の公開シンポジウムが内閣府の講堂という、薄暗いお葬式みたいな場所でやって、首相と松岡正剛の対談とか、金子大先生の話とかがあった時、何を思ったか、わたしは父と一緒に行ったのだけど、

松岡正剛の話(新しい公共というけど、なにもね、NPOや社会起業が新しいというような話ではなく、中世から結や講とか、当然にしてそういう日本の公、いやわたしたちの共同体、日常をふつうに、しぜんに、支えた活動があり、その経緯をお忘れなく!という「公」の歴史経緯)だけは、面白くて、父のメモ(ミミズみたいな字で、一切読めない)を取り上げてわたしはメモってしまったわけなんだけど、

松岡先生の話のあと、新しい公と括られた、NPOや市民活動団体の発表があったので、わたしはすぐさま、危険を察知して、ああいう、カンパケはつらい、つらい、括られるな、括られるなと思って、父を置いてきぼりに、退席して、銀座に買い物へ出た。

一緒に帰れると思っていたのか?家に戻ると父に
「なぜ、お前は、新しい公?といってお前たち、若い仲間が仕掛けている、そういうシンポジウムだったのに、肝心のそういう発表のところで、首相やらいて、報道陣もあんなにいて、誰も席を立っていないに、お前だけ、遅刻をして、かつ、早退をするんだ。まったくしょうがねえやつだ。いつも、そうなのか。遅刻して、早退するなんて。」と叱られたことがあったのだが、

父のそれからの行動が弱った。

わたしがそのシンポジウムで一瞬だけ居て、一応、珍しく聴いている風だった「松岡正剛」の記憶が強いようで、彼の本であったら、娘は読むかもしれないと思った父はひたすら松岡正剛を一時、すんごい買ってきた。

お父さん、松岡大先生の本なんて、買い集めたら
家が、家が、それだけで満杯に。。。わたくし、松岡さんの本を買いたいとか思わないので、いらないんですよ、と必死に眼でいうのに、しばらく買ってくれていた。

しんどい。でも、大人の教養としてはいいのかもしれない。わたし、知らない話ばかり。でも、松岡さんはそういう風に、居間に必要な先生じゃないような
気がしますので、わたし、教養系一番だめかも。それをお父さん理解されて、あえてのですか?ふぅ、みたいな感じだった。

でも本当にいつみても、あまり読まないで無視していたら、最近、ようやく松岡先生は我が家の居間(父との唯一のコミュニケーションテーブル)にいなくなった。

ほっ。

それがどっこい、昨日、なぜか現れたんですわ。

「お前、空海さんだぞ。」

「え?」

『空海の夢』(松岡正剛)

お父さん、わたし、空海さん、好きっていったっけ?なんか、本見せたっけ。

お前、仲間が高野山行ってるんだろ。ちくまの本、持ってたじゃねえか。

はぁ。そうでしたね。奥の院御廟で今もご存命かと。

わたしのおとうさんというひと。
禿げ上がっていて、わたしに
剣道とお能と本を教えてくれた人。

わたしの夢を忘れないでいてくれる人。

昨日わたしの検査結果を言ったら、いままで観たことがないような顔で笑った。
posted by にしもとちひろ at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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