2011年03月03日

近江の朝に

近江の朝に

「私のような者には
引き合いに出すのも遠慮されるところだが・・・」

古井由吉を読むと、呼吸が整えられる。

以前、おそらく「「が」の地獄」というタイトルだったと思うが、
『新潮』にて、芥川の遺作『歯車』に
あまりに接続詞「が」が多いことを引き、

「あれは、なにごとかですね。「悪文」とひとは言うけれど、
ぼくはあの小説の生命じゃないかと思った。」

と、、物を書く人間がいかに接続詞を置く作業に
心を砕いているか、それは生命を繋ぐ作業であると
いう風に述べていたエッセイを読んだ。

それ以来、またもや単純な自分は彼の文章の
起伏なき、誇張なき文字の綴り方ではなく、
繋ぎ方をやけに意識するようになってしまったのであるが、

ただ、「接続」に心を注ぐことによって、あの文体の静かなる
本当に静かなる綺麗で優しいものが出来上がるのかと想うと
ゆるり、ゆるりと波の音が迫ってくるような当たり前の波の
「結節」に気持ちや視線が届き、おのずと、そのこれまでの当然が
愛しくなってくる。

嗚呼、彼の本の折り目の縫い目の中に
身体が吸い込まれるように
眠く、優しく、自分の中の冷酷さや狂気じみたものと
一緒に畳まれたく。

明け方の夢。
白き、近江の包摂。

さざなみの絶え間ない結節と。
posted by にしもとちひろ at 22:54| まちの風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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