2011年04月12日

同一延長線上

わたし、昔、小学生の通学路。

帰り道、男の子たちに混じって、
いつも石を蹴りとばして、帰ってきていたこと。

で、途中で見失わないように、家まで運んであげられると
本当に嬉しかったんだけど、そのとき、私は
この石はもしかして、お父さんなんじゃないかとか。
(お父さん、確か会社行ってるはずだけど)
でも、死んだおじいちゃんかもしれないとか、
あるときは死んだ〜さんかもしれないとか。

そうよくわからないけど、

「そうであるのだから、私はこの石を絶対に
この通学路で見失ってはいけない、どんな草むらに彼が
行ってしまおうが、絶対に手を使わずに、そこから蹴り上げて、
恐ろしい横断歩道もわたり切って、絶対に家に連れて行くんだ。」

いつもそんな風に思って、必死に蹴って帰ったものです。

不思議と空き缶とかはデカイし、蹴っていても
家まで「お父さんだから持ち帰ろう」
みたいには思ったことはありませんでした。

宿神論や草木即神観なんて
子どものときも今でもまったくわかっちゃいないけど、
不思議なもの。

途中でお別れしちゃった石をどこまでも探した小さな通学路。

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posted by にしもとちひろ at 23:21| 犀川日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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