2006年02月14日

ILOVEYOU

暖かくて素敵な日だった。
でも苦しくて、このうまく機能しない脳を首の後ろから、
ぺろっとはがしとって、道路にぶんなげてやりたくなる毎日だ。

でも暖かくてとても素敵な日だった。
国立の木漏れ日も、四ツ谷の日差しも、築地の光も
とても穏やかだった。

愛するダーリンへ
バレンタインおめでとう

まだ寝ないけど、おやすみなさい。
ILOVEYOU

いつもありがとう。

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2006年01月26日

四ッ谷

銀座から新宿へ行く丸の内線は、赤坂見附を抜け、四ツ谷から地上を走り出す。
私はその時、突如として現れる四ッ谷駅に来ると、なぜか相方の山口を思い出す。
そして、乾いたような、湿ったような空気と光に
なぜか希望を感じるのだった。

起業して常に私の傍らにあるのは、漠然とした焦りのような気がする。

たった一色で濃淡と明暗を描く水墨画のような日常でもなく、
岡本太郎のような圧倒的に突き抜けた原色と爆発ありきの日常でもない。

日々、その両極にある憧れに近づきそうになりながらも、
決してどちらにも到達することができずに、
じめっと嫌な汗をかき続けているような焦りである。

だから、真っ暗な地下鉄から地上に出るあの透明な光差す
四ツ谷駅には何度救われたことだろう。
相方を思い出す。
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2005年11月04日

対岸を臨めば

ゴダールは74歳になられたらしい。
感動である。74!であんなにかっこよく私の小胸を揺さぶる彼。
LOVEである。私はジャン=リュック・ゴダールがこの上なく好きだ。

だけれど昔、2ちゃんでゴダール好きはろくなやつがいないと
書かれていて、相当の衝撃を受け、
2ちゃんの影響力を想った当時(大学1年)の私はこの思いを
素直に大切に大切に封印した。

だが、今回。彼の新作、アワーミュージック(Notre Musique)の素敵さを
みんなにお伝えしたくて、長年の封印を解くことに決めた。

私は仕事中、しばし困難に直面すると、窓から見える空を仰ぐか、
支えたるリーダーに電話するが、昨今はそれに加えて
アワーミュージック(Notre Musique)の予告編を流し続けると
かなり落ち着いて仕事ができることが判明し、一日流し続けることに決めた。

でも、実は私はこの映画、途中で寝ている。
「80分にも完璧に凝縮された濃き深き映画」を寝てしまった。
失態にもほどがある。目が覚めたとき、ゴダールはこう言っているところだった。

「火事のとき家具をとりに行くのはバカである。敗北者としての幸運を勝ち取れ。」

ゴダールというと・・全くわからんという声が多く、当時、ちひろはあんなもんを
わかるのか!と驚かれたが、その場でもいつも言ったが、
私はゴダールの映画にちりばめられた難解な哲学問答をほとんど理解していないの
だった。でも、私は何度も何度もわかりもしないのに、わかりたくて観る。
そして何度も何度も観まくることによって、愛がいっそう増すんである。

話がぶっとんで恐縮だが、
愛する人と一緒で、ものごとも「理解できなさ」というのはとっても重要だと思う。
恋愛で失敗する大きな要因のひとつは、
「私のことを真に!わかってほしいのダーリン」的な
女の腐った欲求だと思う。わかりきられてしまったら、間違いなくふられる。
この「理解できないけど、なぜか愛しい」状態をいかに保つか、
保つようお互い「配慮」できるかが、恋愛長続きのコツに違いない。

たとえば、今回の映画の中にも出てくるが、
常に川には対岸があって、川なんだということを忘れてはいけないと思う。
愛することは一緒になることじゃない。
愛とは常に交わらない対岸があって、
その間に、大切に「何か」を流し続ける作業だと思う。
もし愛しすぎちゃったり、うまく流し方がわからなくなっちゃって、困ったら
対岸を臨み、そこに静かに橋を掛けたらいい。

「アワーミュージック」
ジャン・リュック・ゴダール監督
10月15日(土)〜日比谷シャンテシネで公開
以降、29日〜大阪、京都など全国で公開予定
公式サイト: アワーミュージック

s-topimageright.jpg
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2005年04月03日

どう考えても
5時、6時台の山手線は尋常ではない
ことは確かである。

私の前の座席に座る人々を
左から順に紹介したい。

高野山のお守りをとにかく必死になでているおじさん
その隣は
先のつぼんだぴちぴちジャージを着ている
花粉症で苦しむ小太りの子ども
その隣は
死んだお魚のように口をあけたまま
微動だにしないサラリーマン
その隣は
NANAのナナみたいな顔立ちの良過ぎるおねえ
その隣は
今にも羽が飛び出してきそうなぼろぼろのダウンを着て
その美人のおねえをつぶしそうな男

私は異常に寝不足で、中央線を待つホームで
倒れそうになった。
ホーム脇の「よよぎまで でました」という看板が
到着まであと10分近くあるだろうに
ずっと点灯して見えるのである。

私はそして
一本向こうのホームに入ってくる千葉行きの
電車をぼーっとみていた。

気づくと
野球のユニフォームを着た少年たちが
ものすごい純粋な笑顔で
窓から手を細かく振っているのである。

私にじゃないだろうなとは思ったけれど
彼らたちがあまりにもキラキラしていたので
私は恥ずかしながら てへ というような顔で笑って返してみた。

そうすると、ユニフォームを着た少年が
窓から一斉に手を振り出したのである。

なんてキラキラキラキラした電車だったんだろう。

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2005年03月25日

母校の正門前には
桜並木が走っている。

今年ももうすぐ、この老木が
懸命に花開くのを見られるだろう。

高校時代、私たちは、この桜散る中、
その花びらひとつひとつを
手でつかもうとしながら、躍るようにはしゃいで、
桜並木をくぐって帰っていた。

紺色の制服の肩に、頭の上に、白い花びらが
たくさん降るのに、なかなか手のひらにつかむことができない。

それでも、きゃっきゃ言いながら、懲りなく
つかもうとして、少しずつ桜並木を進んでいき、
そして、桜並木が切れた十字路で
左右にわかれ、家路につくのだった。

ある日、自宅に帰り、お風呂に入ろうとしたとき
ブラの中に白い花びらを見つけた。

拾い上げたときの
手のひらの中の、白いはかなさは
今でも忘れられない。
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2005年03月23日

高田馬場は曇り

あまり美味しくないコーヒーをすする。

高田馬場という街は本当に汚い。
アトムの音楽が空しく響くホームとそこから
見える学生ローンの看板だらけの風景が
皮肉でならない。

私は急いで、高架橋下、
キムチを売るおばさんの前を、
ティッシュを配るお兄さんの前を通る。
左手にはまた手塚ワールドの壁画がある。

さかえという商店街を入ると
すぐそこに喫茶店がみえる。

私はあまり美味しくないコーヒーをすする。

酒を飲んだ次の日の朝は、
目からお湯がでるように熱い部分と
足のように異常に冷い部分とに
身体が二分される。

酒が残っているせいなのか
花粉のせいなのか
寝不足からなのか
目から熱い涙が出てきて
マスカラが流れるのを不安に想う。

靴の中のつま先にまで
アルコールが残っている気がする。

早くこの状態から抜け出さないと
仕事にならないから、急いでコーヒーを
口にいれる。

なぜだかわからないが、ふっと雨が降り出しそうな
窓の外の商店街を見ていると、
居間でコーヒーを飲んでいた母親を思い出した。

「人が入れてくれたのは、やっぱり美味しい・・・
自分でいれたコーヒーは美味しくないの。
ちひろがいれてくれたコーヒーは美味しいわ。」と

私が雑に入れたインスタントコーヒーの中につぶやいていた
母親に、こんな曇りの日は美味しいコーヒーを入れてあげたくなる。

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2005年03月17日

街の子ども

電車に乗った。
隣の子どもが
チュッパチャプスを
真剣に舐めていた。

まるで、全顔で
舐めているかのようだ。

自転車に乗った。
前の子どもが
自転車を必死にこいでいた。

激しく左右に揺れ、
全身でチャリをこいでいるかのようだ。

どうせなら
子どものときにみせた
あれくらい必死さをもう一度持って
仕事をし、絶えたいものである。
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2005年03月07日

オヤジはいつだって君をがっかりさせる

地元の図書館で前から来る父親に声をかけた。
「おとうさん、ヤッホ!」
父親はなぜか赤面、薄笑いして、
「お、おぉ。おまえか。わからなかった。」と
不思議とゆっくり言った。

父親は近所のパンダ公園の前を通ると必ず
「俺はまだここを通ると、
まだ小さかったお前が走って出てくる気がするんだ」と言う。
「まだ出てくるの?ちょっと大丈夫?」

思い返せば、私が絶望的な失敗をしたときも、
ごくたまにデカシタ!ときも
「ハハハやぱり俺の娘だな。」と笑い、
そして、TVで人が若くして命を落としたり、
そして私が何かの薬を飲むのを目にしたり、
お化粧で顔がいつもよりシャープに彼なりに見えたりすると
必ず「おまえ、体大事にしろよ。俺より前には絶対死ぬなよ。
それだけはやめてくれ。一番の親不孝だ。」
というびっくりするような一言を
背中に落としていく。

しかし、父親と私はほとんど会話しない。
ごくごくたまにこうして少しだけ話すくらいだ。
ちょっとでも話すと、私に似ていて熱くなりすぎるので
なかなか打ち明けられない。

だが、最近、そんな父親が数年後に退職したとき
いや、本当に今日がお勤めが最後だという日に
ドアを開けて、居間に入ってきた時に
私は、マヌケな弟とどんな言葉をかけるのだろうかと
想像する日が増えた。

「30数年間、お疲れ様でした。」と
頭をきちんと下げられるだろうかとか
照れ隠しして、安っぽい笑いをしてしまったら
いや、その場に居合わせずに、適当に
「え?もう会社いかないの?定年?」とかいう
事態が襲ってきたらどうしようかとか、
まぁ、本当に悩まなくていいことを
自転車に乗っても、電車に乗っても、歩きながらも
お風呂に入りながらも考えてしまうのである。

私も弟も「尊敬する人の欄が「父」」という友人を
よくわからん、そんなのありえんと思っている。

うちの父親は団塊の世代の人間で、
よくわからない情熱を振りかざし、
私たちに、同僚が何人も自殺したことと
如何に会社は終わってるか、
如何に希望がないか、
如何に陰険か、
如何に個が無力か、
如何に話の通じない奴が多いか、
如何に世は汚く恐ろしいかを説き続け、
そのくせ斜陽産業たる重厚長大の
勤続ウン十年の会社に未練たらたらで
株なんてどうせゴミ屑になるだろうに買ってしまっている。

オヤジはいつだって子どもをがっかりさせる。

だけれど、できるのであれば今からでも
オヤジをがっかりさせない子どもになってみたい。
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2005年03月04日

子どもの樹

昨日の夜、私は青山通りをテケテケ歩いていて、
岡本太郎の「子どもの樹」を青学側から見つけ、思わず横断してしまった。

あぁ、お久しぶりですね、太郎先生、あぁもうすぐ万博なんですよ。
お元気ですか?という気持ちで随分、眺めてしまった。
あぁ、本当に猫背も直ってしまうような像である。

あの銀色の図太いうねり。子どもの顔の表情。
しがみ付いて、あの樹に登りたいとも
根元に座って、あの表情を浴びていたいとも思わせる。
遠くに、見えてもいい。

私は一時とにかく平積みされていた
『今日の芸術』を手に取ったことに始まり、
特に『岡本太郎が撮った日本』は大好きで本当に何度も何度も
見ていた。

もしかしたら、私がまちづくりの道を選んだのは
太郎先生のこの本がきっかけかもしれない。
素晴らしい本である。

そうこうして、私は樹から出る子どもの顔を
じっとみていたのであるが、
ふと突然、像の裏側からぬぅっとメガネの男性が現れた。

なんでこんな夜にこんなところにいるの?
薄笑いをして、今にも、あぁ、口を開きたそうに
こっちをみている。ヤバイ!

きっと彼も同じ風に思ってるんだろう。

それでもなお、私は
真っ暗な子どもの城と青山通り光り輝く車の列に阻まれながら
岡本太郎の樹の周りを、彼とともにまわり続けたのである。

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2005年02月15日

喫&茶 

「君は自営業みたいなもんなんだから家で仕事をすると
能率が落ちる。すぐにやめよ。」との指令を受けた私は
珍しく素直にその指令を受け入れ、
子どものように愛らしいPCを片手に街へ出る。

ybbモバイルゾーンに登録しているお店は、
ドトールとかルノアールとか
ひどく煙い店のみだ。どうでもいいことだけれど、
私は好きな人の煙以外吸うことができない。
火をつけ、目を細めて煙を吐いて、先端を灰皿の角でぽんぽんと叩く
この一連の仕草を目の前で見ることもないのに、
煙だけが脇から後ろから泳いでくる店にはいけない。

吸わないのに煙を許せと言われても無理だ。
セクシーでもなんでもなく、ただ臭くて有害なだけなのに、無理だ。
真夏の南国で焚き火が始まって
芋もくれないのに俺は寒いんだ、お前暑いのか?
ま、しゃあねえよというようなもんだと思う。
全身悲しいくらいに匂いがつき、のどが痛くなる。

でもとうとう、多少他人の煙が流れてきても
仕事ができるかなというカフェを見つけた。

cafe-pic.jpg
(写真はお店のサイトより)

吸ってる人たちは
デザイナーさんだったり、
丁寧に咳払いをして、電話は外でする営業マンだったり、
スケッチブックを片手に交渉をする人たちだった。

池袋のジュンク堂とスタバの間の細い道を
トコトコ行って、代ゼミを
越えた先にある。cafe Pauseというところ。
音楽と洋書がある。

丁寧すぎるおしゃれな店員さんが
すごく小さな声でしゃべる。
おまけにすごく歩くのもゆっくりで、
演劇しているように丁寧に丁寧にひとつひとつの動作をする。

でも暇を埋めるようにせかせか動いたり、
明らかにマニュアル外の機転が利かない
チェーン店のアルバイトよりも
好きかもしれない。

なんとなく禁煙にしてしまうと
この空間はつくれないのだろうと
きっとそうなんだなと思った。

まぁ、好きになりたかったからそう思い込みたかった。

真っ赤な口紅と真っ赤なマニキュアをつけた
隣のデザイナーらしきお姉さんは
本当に何本も何本も吸うのだけれど、
たまにかかってくる男への言葉が異常に甘い。

そしてこう言っていた。

「家で何日もこもって描いてたのね。
そしたら頭が変になりそうだったの。
んで、外で描くことにしたの。
ちょっと気分転換になったかも。」

参考:cafe Pause ウェブサイト
http://www.geocities.jp/cafe_pause_ikebukuro/index.html
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2005年02月14日

ホーム

大崎駅のホームから見える
明電舎の建て替え地の真上にあった月が
黄色すぎた気がした。

隣の女の薄緑色の荒く編んである
マフラーのその編み目に風が
通ったように少し揺れた。
もう春が近いような気がした。

斜め前の柱に寄りかかる男が彼女を抱きしめながら、
「こんなに幸せでいいのかな。」と大きくつぶやいた。
高校生とかじゃなかった、きっと同い年くらいだと思う。

女の子は電車に乗った。
埼京線は満員だった。
彼女はホームに立つ彼にさよならを言おうと
満員の車内立つ人の合間をぬうように体をねじって
窓の外の彼に向けて笑った。

別れ際の顔はなぜこんなに印象的なんだろうと毎回思う。

別れ際のお互いの顔がその人たちの関係性までも
表してしまうのはなんでなんだろうと。
すきかきらいか、どうでもいいか否かなんて
別れ際の顔を見れば一発だ。

おかげで私は異常に別れ際を恐れ、
素敵な出会いより素敵な別れがほしいとか
いう異常な臆病者になった。

心底くずだ!
あのホームの男を思い返せ。
「こんなに幸せでいいのかな。」である。
彼女は本当に綺麗な笑顔をしていた。



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2005年02月07日

女の人

女は恐らく朝の日差しの中で見るよりも、
夕方から夜にかけての女のほうが街に綺麗に映えると思う。
だが、その理由はよくわからない。
特に、ヒールのかかとを少し持ち上げているかのように足首をしめて、凛と立ち、
待ち人を恋うような表情で、塗りたての口紅を馴染ませるような仕草
を時にする改札前の女は本当に綺麗で、
彼らしき人が来ると、とたんにその顔が緩み、
目が優しくなったり、照れた頬が持ち上がったりする。

おそらく女がそうしているすべてそれは「あえて」で、
その仕事後、夕方〜夜に行うすべての「あえて」が女を綺麗に
見せている。女は仕事後の街が用意した何かに乗って、
直帰したいような一日のだるさをすべて背負いながらも、
「あえて」約束して会いにいく。まあ、彼も好きなのだろうけど
そうしている自分が大好きだからだ。

直帰して、ヒールを脱ぎ捨てて、鞄をガンと置いて
ストッキングを脱いで、メイクを落として、無意識にメールをチェックして
今日一日といわず、人生にさえ疑問を抱きそうになるその一瞬を殺し、
その後にやってくる適度に無駄な放心状態を適当に寛容していく日々の中で、
街に出た女がああいう風に映えるというのは本当に素敵なことだなと思う。

女が朝塗る口紅は、塗りたいのか塗りたくないのかわからないで
ぼやけた顔に義務かなと思って塗るのだけれど
夜塗る口紅は違って、きちんと意思を持ってあえて塗っているのである。

この女が「あえて」実施するすべてを街は寛容し、きちんとみているのに
男はきっとその5%くらいしかみてなくて、寛容もできないのだけれど、
女は懲りずに「あえて」を再び実行して、また受け入れてくれるはずの街に出ていく。


posted by にしもとちひろ at 17:33| Comment(2) | TrackBack(0) | まちの風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月05日

暁の白き雪明かりを頼りに

「白昼に 人の描ける 夢跡の 朽ちきえ魅せる 雪野暁」

これは尊敬する我が師が眼前の雪景色を前にうたったものであるが、
師はさらに、次のように加える。

「人が作ってしまった数々の境界、分類、差異。
我々はそれらを便利と思い、当たり前のように思って過ごしていたけれど、
雪というものはそれらすべての上に平等に降り積もってすべての境界、
差異を消してしまう。

この様な夢の世界を作り出してくれる雪景色だが、
実は今我々が作っている社会こそが夢なんじゃないか、
そんな気にすらさせられる。

いろいろな物事に捕らわれ、縛られる社会。
これらはすべて境界、分類、差異によって作られている気がする。
これらすべてが本来はないもの、夢なのじゃないかと。

白昼の明るさは我々にいろいろな事を示してはくれたが、
本当に幸せを示してはくれたのだろうか。

ならば暁の白き雪明かりを頼りに一面真っ白な
世界を歩く方がいいものかもしれない。」

と。

前回記した、私が朝のおふとんから
足をクルっと出す際の生活臭溢れる話より
はるかに圧倒されるほど素敵な歌であり、

何度読んでもそのせつなさと
ばっと思い浮かぶ一面真っ白なその風景の中で、
師がサクサクと歩むのを想い、
思わず泣いてしまいそうになる。
posted by にしもとちひろ at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | まちの風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月02日

春の告げ

年老いると寂しさや孤独を一層隠せなくなるのだろうか。
今日私に春を告げたおじさんの目つきが
今でもなぜか忘れられない。

私は昼間、胸に刺さる風に耐えようと
トレンチコートの前の襟を立て視線をあげると
おじさんがにこにこ笑って近づき、
私の右斜め上を指差して
童謡の「さくら」をワンフレーズ突然、歌った。
私は驚いてそのおじさんの指の先を見たら
まだつぼみともわからぬ桜の木があった。

おじさんは
恐らく寒さと怖さから硬直した表情をしていた
私に2度、いつか春がくるよ的
メッセージを送った。

おじさんの前かごには
カップ酒が2本転がっていた。

年老いると寂しさや孤独を一層隠せなくなるのだろうか。

なぜ街は人間の寂しさや孤独を隠す役割を
負えていないのだろうか。
人間の構造をこえるものとして街の構造はあってほしいものだが。

posted by にしもとちひろ at 21:12| Comment(2) | TrackBack(0) | まちの風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月27日

山手線

電車の中でみないろんな方向をむきつつも、
ある一定区間一緒にあんな密着して
いられるのはすごいなと思うが、
小さい頃からどこかもったいないなあと思っていた。

てっちゃん(鉄道マニア)でもなかった私は
電車が本当に乗り物だけの要素しか持ちえていない
無駄がはっきりいって理解できなかった。

やっとそんなどうでもいいことは考えなくなった
今でさえも、ごくたまに、
よく考えたら、一個一個の駅でドアが開き、
見知らぬ人間が入ってくるのであるから、
さぞかしそこに面白みやらや何やらを感じてもいいのに
なぜいつも山手車内で繰り広げられるのは
読書と痴漢と暴行事件くらいしかないのだろうと思う。

そしてそれらに関わらない他の多く人は
巨大企業から浴びせられる広告の中で
ただ死んだように立っている。

激しく汚く臭かったバリアフルなNYの地下鉄で
どかどか楽器と一緒に乗り込み、
一駅分演奏すると飛び降りて去っていく彼らが
たまにとても懐かしい。
なんだかリアルですごいスピード感だった。
posted by にしもとちひろ at 02:46| Comment(2) | TrackBack(0) | まちの風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月04日

札幌

札幌ラーメンを食べて
気分も上り調子だったから
あの、すすきの をみてみたくなった

バックパックを背負った女の子は周りにはいなかったけど
雪をサクサク踏んで、元気に行った

すすきの駅について見回すとどうみても
あの想像していたすすきのじゃない
せいぜい五反田どまりじゃないか
なんだこりゃ 

どこでも同じ色の白いおねえが、
黄色いふちにかこまれたネオンの中に輝いている

見上げた首を戻し、さぁ帰ろうと
Uターンしたその時、注意深くみた雪の上に
とりの足がもぎとられて 大量に落ちているのをみた

ぎゃあ

ぎゃあである
驚いた
今でも忘れない

酉年の正月に酷い出迎えだ
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2004年12月10日

マエストロ

山手線に乗った。
空いている。信じられないくらいだ。

小さくヒールに畳み込まれた爪先が痛んでいる。
仙台からずっとだ。早く開放してやりたい。

棒で仕切られた座席に冬支度の私は入りにくい。
おまけに右手にずんだもちと笹かまぼこと
衝動買いしたネグリジェを持っている。

やっと膝の上に彼らを置いてほっと前を向くと
ホームレスらしき男性がいた。

白髪交じりのバサバサの髪が散っている。
片方のサンダルを履いていない。
痙攣した手を振り上げ
宙を切るように振り下ろしては
また振り上げ、唸るように駅名を連呼する。
体が驚くほど小さい。

彼の指揮に皆次々に席を立ち、
日経ビジネスで鼻を覆い、スポーツ紙で空気を扇ぐ。
OLが顔を見合わせて「臭くない?」と
真っ白いコートの前襟をいやらしいほど立てて
ピンクの口をふさぐ。

尖った三角の爪先にいらいらが一気に集約される。
内側から固まった指が硬い皮を突く。
ちょうどいい。
女にヒールを投げつけてやろうと思った。

でも私はあの女たちと同様に
座席に座るのもやっとなほど服を着込み、
右手にずんだもちと笹かまぼこと
衝動買いしたネグリジェを持っていた。

彼は髪を振り乱し、腕を振りながらも、
表情を緩めることがあった。
それは車窓からわずかに見た風景のせいなのだろうか。
それとも彼の前の座席に一瞬だけ座った子どものせいなのだろうか。

右手に食い込む要らぬものの重みに耐えながらも
永遠に循環し続ける山の手で、
二度と会うことの無い目の前のマエストロの指揮を
私は確かに無視をした。




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2004年12月09日

家族

駅の階段を下りながら
最後の段につま先を置き、視線を先の信号にやったころであろうか。

「〜屋のおだんごをお土産に買ったわ。おとうちゃんほらすきやろ?
お母ちゃん今駅やからもうすぐ帰るけどな・・・・・

私は後ろから柔らかな声を浴びた。

点滅した青信号を前に思わず立ち止まる。

赤信号の交差点に立つと
ふかしたオートバイが
背に降る会話の続きを奪っていく。

雨が降ってきた。








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2004年10月31日

NY

NYの地下鉄の生暖かい臭さが未だ鼻についている。

1日目〜3日目のホテルは何だったのだろう。
胸を揺すって、弾丸のようにしゃべるオーナーと
ドアを開けた直後の他の客の悲鳴に似た叫び声。
冷水が細かに降るシャワー。
小学生の木工細工より悪しき白ペンキの四角い部屋と
廃材を包むような薄黄色の毛布に青いベッド。
天井はない。私語も禁止だ。
物音を立てると隣人の女が薄い壁をヒステリックに叩く。

そこは「WhiteHouseHotel」といって、webでは
「僕もヒラリーと研修生の時に泊まったよ。」
とクリントンがにこやかに笑っていた。
彼らが泊まったはずはない。

4日目逃げるようにしてマンハッタンを駆け上った。








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2004年10月18日

祭り2

もう今年こそ、祭りはいいだろうと
祭りとは無縁の街のはずれで
明日からの旅のパッキングをしていた。
これが全くはかどらない。

夜が市街地のはずれにある我が家にまで
あの祭りの音を運んだ20時過ぎ、
かすかに聞こえる音に
耐え切れず、とうとう街に出た。

ぴょんぴょん飛び跳ねながら帰宅の途につく
はっぴ姿の子供達の間を練って、自転車をこぐ。

15年住んでいたマンションに着いたが、
その向かいの仲町の車庫は空で「羅稜王」はいない。
クライマックスに差し掛かった通りには到底でることはできず、
カメラ付携帯が宙を踊り、その一歩向こうを無数の堤燈がいく。

中原町と連雀町の山車のひっかわせの中に
佳美と書かれた堤燈を見つけた。
大声で名前を呼ぶが、対岸気づくはずはない。
彼女のケバイ化粧が堤燈による明かりで綺麗に映える。

突如、自分の名が甲高い声で飛んだ。
6年ぶりであろうか。
それとも成人式で見かけただろうか。

21時を過ぎた。
いくら他の町内の山車の間を
練って、一目見ようと探そうとも
羅稜王は見つからない。

曳かなくなって、6年ほど過ぎた
「町内会」の山車を見るために
毎年同じ行為をただ繰り返している。

毎年、21時を過ぎた
ラストのひっかわせを
仲町の交差点で眺め、祭りは毎年終わる。






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